年賀状が苦痛すぎてやめた件。結局なんの不利益も生じなかった。




年賀状をまったく出さなくなって、今年でいったい何年目だろうか?

来年の干支は『戌』だそうだから、思えば少なくとも12年前は出していた。

正月早々、なんの興味もない私の愛犬の写真に『謹賀新年』とだけ書かかれた年賀状を送りつけられた当時の方々は、きっと冷ややかな目線でその葉書を見下ろしていたに違いない。

こんなのただの自己満足だとしりつつ、12年に一度訪れる晴れ舞台にぜひ我が愛犬を!と、ここぞとばかりアイドルの座に祭り上げたくなる飼い主の愚行を、今となれば、失笑とともにどうか許してやって欲しいと、密かにそう願うばかりである。

 

それはさておき、年賀状を書くのが苦痛だと思っているのなら、悪いことはいわない。いっそ今年からすっぱりとやめてしまえばいいじゃないか。と私は申し上げたい。

かねがね、あの謎の慣習には違和感しか感じなかったのだが、もらったら返事を出さなければいけないという、これまた謎の強迫観念からせっせと年賀状をこしらえ、私は年末年始、常に気持ちの悪い汗をかいていたのである。

しかし、実際のところ、年賀状をやめたことで何の不利益も生じないし、その後私の人生に重大な障害がもたらされたわけでもない。

それどころか、長年の重圧から解放されすっきり気分爽快。この余ったエネルギーを自分のやりたいことへ投資しようという活力も湧いてこようぞ、というものである。

 

私が年賀状をやめた理由

さて、ペットに限らず、この年齢ともなれば、家族写真を年賀状にするひとは非常に多い。

当時、愛犬の写真を送りつけたこの私が言うのもなんだが、なぜ皆一様に子供たちだけが写ってる写真を送ってくるのだろうか?

家族ぐるみでお付き合いがあるのなら、まだわかる。

だか、往々にして独身時代からの知人でしかも結婚後他県に嫁ぎ、もう何年も本人にすら会っておらず、加えて年賀状だけのお付き合いである場合、一度も会ったことの無い家族は私にとって『知らない人』以外の何ものでもない。

頼むから、家族写真を送るんだったら本人が一緒に写ってるものにして欲しい。私は、本人の顔が見たいのである。一緒に写ってないと、誰が誰の子なのかさっぱりわからない。いや、もうこの際だからハッキリ言わせてくれ。

知らない人の顔をみても、何の感情も湧いてこないんだわさ。

こういうことを言うと、『お前はこじらせ女子か』とヤジのひとつも飛んできそうだが、いやいやちょっと待ってくださいよ。知らない子供たちだけが写ってる写真に、私がいったい何を感じれば良いというのか?そりゃまぁ、一応写真をやってる身としては、それがSally Mannぐらい。。。とは言わないまでも、超すてきな写真であるなら、鑑賞できてよかったわ、と感動することも否定はしないが。

もちろん、毎年、年賀状を楽しみにしていて好きで交換しているというなら、それは結構。否定するつもりは毛頭ない。

だが、正直、私にはただの社交辞令にしか感じられないし、義務感満載のつまらない慣習に自分の大事なリソースを使うなんて虚しすぎると思っただけ。私は社会通念が欠けた人間なのかもしれない。

こうして私は、『年賀状を交換しあう世界』から静かに身を引くことにした。

年賀状をやめるには

私の場合、出さなくなって2〜3年でほぼこなくなり、その後引っ越しが決めてとなってすべて終了となった。『年賀状はやめた』と、直接言った人もいたけど、大多数の方々はそのままフェードアウトしただけだった。

私のような社会不適合者の真似をするのは、良識ある一般の方々には決してお勧めしないが、先方に『今年からどなた様にも年賀状は失礼させていただきます』と書いた寒中見舞いのひとつでも送れば済む話ではないかと思う。そういった例文もネットで探せばわんさか出てくる。

きっと、それをもらった相手は『よくぞ英断してくれた!私も来年からそうしよう!』と思ってくれるに違いない。

加えて、(相手にもよるが)やめる理由を詳しく述べる必要など無い。子供の顔なぞ見たくないだの、お金と時間がもったいないだの、そんな理由、腹の底では共感してるかもしれないが、直接言われたらどう対応したらいいかきっと困惑させてしまうだろう。終始一貫「諸事情で」とだけ伝えれば良い。それでおおよその察しがつくと思う。

まとめ

年賀状ぐらいで付き合いが無くなるなら、元々それまでの関係だったということ。そういう関係をダラダラと続けるのは、自分のためにも相手のためにも、双方ともに建設的とは言い難い。

多様な意見のひとつとして、ご参考まで。